伊藤拓郎という人物について綴りたいと思います!って突然の宣言ですが、この方野球において凄い記録を持っているんです!
それは、メジャーリーグでもベーブルース依頼の実力と認められた天才中の天才、大谷翔平をも上回る記録…
メジャーリーガーはひまわりの種をなぜ食べる?理由や食べ方について
そしてプロに行ったことまでは知っているのですが、彼は今現在何をされているのでしょうか?
そのあたりを調査してみました!
伊藤拓郎の経歴!帝京高校時代の激やば伝説エピソードも!
伊藤拓郎選手のプロフィールと帝京高校時代の激やばすぎる伝説エピソードを紹介します!
出身地:東京都練馬区(出生=徳島県阿南市)
生年月日:1993年4月2日
年齢:25歳 ※2018年12月時点
身長:185㎝
体重:90kg
利き腕:右投右打
ポジション:ピッチャー
小学2年生のころから野球を始め中学生時代はリトルリーグに属する東練馬リトルシニアに所属しトップ選手となったようです。
その証拠に中学3年生のころには、AAアジアチャレンジマッチ日本代表になっています。
その後は前述の通り帝京高校に入学。あ、帝京高校ってとんねるずの出身校じゃないっすか?てことは貴さんの後輩ってこと?それもすご!
とんねるずの日本テレビ出禁はなぜ?原因が石橋貴明の理由はなに?
で伝説はこのあたりです! なんと、入学後早々に1年生ながらベンチ入りを果たし、そのまま夏の甲子園予選大会でもベンチ入り。 そして、なんと3回戦の九州国際大付属戦で球速148㎞/hという、一年生では信じられない驚異の数字をマークしているんです!
これは当時、中田翔選手が持っていた高校1年生の球速記録147㎞/hを上回る新記録でした!
凄くないっすか? 高校3年生でも、140㎞/hを投げるピッチャーってそうそういないのに高校に上がってすぐの少年がその球速に届くって野球経験者としては全くもって信じられません。。。
その当時は当然のことながら『怪物』『天才』とめちゃくちゃ称賛されたらしいですよ! 羨ましすぎる!
そして、高校3年生の夏の大会で東東京予選ではノーヒットノーランを達成し、その勢いで甲子園出場を果たし本戦の1回戦ではこれまた信じられない球速を投げる大谷翔平投手、要する花巻東高校と対戦し勝利しています!
マジで凄すぎる…
ドラフト9位・伊藤拓郎の年俸や契約金は?プロ引退した理由は?
高校卒業後はドラフト9位で横浜ベースターズに入団していますね!
その時の契約金は1000万円、年俸450万円で高校生上がりでいきなり普通のサラリーマンの3-4倍はもらうという処遇です。まあ、プロ基準で言えば当たり前の金額かもしれませんけどね。
その後一軍昇格し登板することがあったものの2試合にとどまったそうです。 3年後の2014年には戦力外通告でプロ引退となりました。
その要因としては、恐らくプロで通用するだけの球威がなかったってことだけだと思います。
真木将樹 洗剤で現在年商1億円!現役時代・近鉄での苦悩と引退後の成功ついて!
しかし、高校1年生ながら148キロを記録した球速は一体どこに行ってしまったのでしょうか?
その理由と言うのは、メンタル面と体の不調にあったと言います。 なんでも、1年生でその球速を出してしまったが故に『スピードに執着』してしまい、打ち取ること優先させるのではなく、1年生で記録した球速を超えることを優先していたらしいです。 そうやって、悩むうちにフォームも崩れ肘を故障し球速に当時の面影がなくなったということです。
これって今で言うイップスってヤツかもですね!何となくわかりますよ。考えすぎてどうすればいいのかわからなくなるって。
そして、その故障した理由の一つに柔軟性の欠如があったとのことです。これは帝京高校の監督も入学時点からアドバイスをしていたらしいですが、軌道修正が出来なかったんでしょうね。
プロ引退段階では球速が130キロ前半にまで落ちていたらしいですから。
記録によって得た評価によりプロへ行ったものの、そういったことを引きずりながらやっていては高校では通じてもプロでは全く通じなかったってことですね。
ん…やっぱりプロで活躍できる人って総合力がそろった人たちなんだな~ってシミジミ感じちゃいますね。。。
非常に厳しい世界だということがヒシヒシと伝わってきます。
伊藤拓郎の現在・新日鐵住金鹿島硬式野球部所属までの大波乱エピソード!
プロ引退後は、独立リーグ(BCリーグ/群馬ダイヤモンドペガサス)に何とか所属でき野球を続けることが出来たものの1年目はプロの余韻を引きずって、投球方法が分からないという状況が深刻になっていたらしいです。
それを打開できたのが、オーストラリア留学だったらしいです。日本のシーズンオフを利用した練習の一環として挑戦されたようですが、それが功を奏しプレッシャーから解放されてか、投球環境が上手くかみ合ったのか感覚的な投球方法を体が思い出し、140キロ代まで球速が戻ったようです。
そして、2016年にはシリーズMVP、2017年にはリーグトップの13勝を挙げ地区優勝にチームを導き、さらに最多勝&最多奪三振を獲得し退団しています。。。 で、その後の現在ですが新日鐵住金鹿島硬式野球部に所属し社会人で野球を続けていらっしゃいます!
背番号は15番ですね!所属は日鉄住金物流鹿島(株)という会社で、場所は茨城県鹿嶋市に本社がありますね!
なんでも、今年2018年に移籍しすでに登板をされているようです! で、観戦した方による情報だと球威はほぼ戻っていると言ってもいいような、迫力のある球威のピッチングをされていたようです!
球速としても142キロだったらしいですから、自然な投球ができていると思われます! 何だかこの調査の中で経緯を知っただけに、非常にうれしい現状ですね!
ご本人的にはまだ納得されていないのかもしれませんが、一時期味わったどん底の野球人生に比べれば自分が持ち得る力を発揮できている今は心境としても前向きにやれていそうで何よりです!
頑張ってください!
あ、最後に調査していて思いましたが、伊藤拓郎さんって世の中にかなりいらっしゃるんですね。
関連ワードで『バスケ』が出てきていましたし、インスタグラムも別人のものが多数存在していました!
完全なる余談お許し下さい(笑)
では!