2020年3月以降のコロナ禍において、大注目されているイケメン大阪府知事の吉村洋文さんですね!
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これを機に吉村知事の支持率は急上昇でしょうね!
…と、言ってみたものの私自身、政治には疎いため、私の興味は彼のかっこよさなんですけどね(≧▽≦)
と、そんなかっこいいイケメン吉村洋文さんのことを色々と知りたくて、彼のルーツである実家(父親・母親や兄弟)、生い立ちについて調べてみました!
吉村知事の実家の場所や家族構成は?
まず、吉村知事の出身地や実家の家族構成についてチェックしていきましょう!
出身地:大阪府河内長野市
家族構成:父親、母親、兄 (実家)
≪参考≫
生年月日:1975年6月17日
年齢:44歳(2020年5月現在)
大阪府の河内長野市は、大阪府の南東に位置していて和歌山県に隣接している地域ですね。
※以下の赤塗り部分
そして、実は2019年5月に日本遺産(観心寺、天野山金剛寺、烏帽子形城跡、高野街道など…)に認定されていて、千年もの間、護られてきた文化遺産の宝庫らしいです。
吉村知事も過去インタビューにて緑豊かな所と表現しているように、古き良き日本の情景が広がっているような地域なんでしょうね。
こういう所からも土地の雰囲気を感じ取れますね↓
【ふるさと納税】国際コンクール受賞 純粋 河内長野日野産米 約4.5kg
そんな清らかな所で育ったからこそ、あの正義感、誠実感の吉村知事が誕生したのかもしれませんね!
今後は、吉村知事もこの土地の宝となっていきそうな状況だと勝手に思っています^_^
家族構成に関しては、標準的な感じですよね。
今でこそ出生率は1.2~1.4程度にとどまっているものの、吉村知事が誕生した1975年頃は第2次ベビーブームの頃で出生率が2程度あった頃ですから、恐らく周りのご家庭には3-4人兄弟の家庭も少なくなかったと思われます。
では、吉村知事の両親や兄弟について調査した結果を紹介しようと思います!
吉村洋文知事の父親・母親や兄弟について!
吉村知事を育ててきた父親、母親、そして共に時間を過ごしてきた兄について調査してみました!
正直、情報は超と言っていい程、少なかったのですが、全くないということもありませんでしたので、その結果を共有させていただきます!
父親
吉村知事が政治の世界に足を踏み入れたということは、やはり父親も政治家など、やられていたんでしょうか?
というか、そういう想像をしてしまいますね。
現・大阪市長の松井一郎さんも元政治家ですし、親が政治家で影響を受けて政治家になったって方おおいですよね。
だからそんな感じかと、、、
でも、吉村知事の父は政治家ではないそうです。
知事のホームページを見ると、
『サラリーマン家庭に生まれる』と書いてありました。
つまり、吉村知事の父親はサラリーマンだったということです。
超優秀な育ちをしていることからして、きっと、厳格な父親だったと想像します。
参考 http://yoshimura-hirofumi.com/about_yoshimura
母親
母親については、広島出身ということを過去にツイッターで紹介されています。
広島は、おかんの故郷じゃけ。もうあの世に行ったけど広島のおばあちゃんからも「原爆がピカっと光るの見たよ」と子供の時に何度も聞いとるけんよ。広島での政治活動は大変だと思うけど、頑張ってくんさい。 https://t.co/4t3zbYcgeS
— 吉村洋文(大阪府知事) (@hiroyoshimura) September 20, 2019
平成30年7月豪雨の被災復興の目的で、広島に夏のボーナス手取り全額を寄付しました。日本維新の会の国会議員団も給料2割カットして被災地への寄付を続けており、一緒に広島へ。法律上、僕は大阪府内に寄付できません。広島は僕の母の故郷。少しでも被災復興、災害に強い街づくりに役立てて欲しい。 pic.twitter.com/daHu6eF248
— 吉村洋文(大阪府知事) (@hiroyoshimura) September 6, 2019
あの豪雨被害の時に、夏のボーナスを寄付されていたんですね。。。
ホントに吉村知事の行動には頭が下がります。
かっこよすぎますね!
兄
吉村知事のお兄さんは、『利博』と言う名前みたいです。
是非、ご覧下さい!ちなみに僕の兄の名前は、「利博」。大阪万博の年に生まれたので、万博から一文字とったそうです。どうでもいい話ですが。 ht
— 吉村洋文(大阪府知事) (@hiroyoshimura) October 7, 2016
大阪万博っていつなの?ってきっと30代以下の方々の多くは???ってなっちゃいますよね。
1970年3月15日~9月13日に開催されて、別名「EXPO'70」などと言われるみたいです。
あの大阪の一つのシンボル的にもなっている「太陽の塔」が建てられたイベントとしても超有名ですね!
海洋堂 太陽の塔 4つの顔
あ、お兄さんの話に戻りますが、1970年生まれなので5歳差の兄弟ってことになります。
年齢はきっと今年、50歳ということですね。
吉村洋文知事の幼少期や生い立ちについて!
吉村知事の家族のことが少し分かった所で、吉村知事の幼少期や生い立ちについても調査をしてみました!
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幼少期には、剣道をしていたみたいです。
前述した日本遺産認定された「観心寺」には剣道大会でよく行かれたそうです。
また、
除夜の鐘にワクワクしたエピソードや「な~んでか?」というワードから察するに、普通の感性を持った男の子だったんだろうな~と(笑)
な~んでか…って、この方だよね?
うるさいと思ったことは一度もないけどな。逆に子供の頃は大晦日の除夜の鐘が聞こえてくるとワクワクしたよ。1年に1回の伝統行事にもう少し寛容になっていいだろう。
〉除夜の鐘ってうるさい? 札幌の寺院、苦情受け中止に(北海道新聞) - Yahoo!ニュース https://t.co/ocUqjs1uAt— 吉村洋文(大阪府知事) (@hiroyoshimura) December 27, 2019
日本遺産に認定された河内長野市。どうでもいい話だが、僕の生まれ故郷で、市立千代田小、千代田中に通った。子供時代は剣道をしてたのでこの記事の観心寺での剣道大会にもよく行った。河内長野は自然と歴史が豊かな所なので、一度足を運んでみて下さい。 https://t.co/xLHzGyJThE
— 吉村洋文(大阪府知事) (@hiroyoshimura) May 20, 2019
参議院の定数は増加させたが、給料削減案は今国会見送ったんだって。な〜んでか?(子供の時によく聞いた「な〜んでか?」風に)。あとは有権者の皆さんの判断にお任せします。 https://t.co/iXJrw4l41h
— 吉村洋文(大阪府知事) (@hiroyoshimura) December 11, 2018
しかし、武道に通じていたってところは、今現在の正義感に繋がっていた気がしますね(^^)
そんな洋文少年は中学時代に既に、法律に携わる仕事を志していたようです。
なんでも、中学時代の愛読書が「公民」の教科書だったらしいですから( ゚Д゚)
※たぶんこんな感じのやつ↓
私の中学時代では、誰一人として教科書を愛読していた人はいなかったと思います。。。
たぶん、吉村少年の中学時代の知識に今現在、いい大人になった私の知識は全く敵わない自信がありますね(`・ω・´)
ですが、学生当時の吉村少年は先頭に立ってみんなを引っ張っていくリーダータイプではなく少し引いて全体を見ている割と物静かな性格だった反面、周りの意見を最終的にまとめるようなポジションにいたらしいですね。
縁の下の力持ちタイプともいえるのではないでしょうか。
周りの意見をまとめるってことは、やっぱり当時から政治力、頭の回転、頭の良さというモノが光っていたという風にも思えます!
参考
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200424-00010001-jisin-pol
吉村洋文知事の実家(父母や兄弟)や生い立ちが凄い!幼少期~中学時代まとめ!
情報収集してみると面白い情報が得られるものですね!
- 実家のある地域が日本遺産
- サラリーマン家庭
- 武道に通じていた
- 普通の少年だった側面ももつ
- 中学時代の愛読書が「公民」の教科書
- 縁の下の力持ちタイプ
サラリーマン家庭に関しては意外でしたが、こう並べて見ると、今の吉村知事を形成したことが伺えることばかりです。
もちろん、愛読書「公民」は普通の中学生と比較すればぶっ飛んでるので少し笑っちゃいますが、それくらいの個性や没頭できる性格があったからこそ、府知事という大役を務められていると思います。
今回まとめたイケメン吉村洋文さんの情報は、何とかかき集めた情報ですので、今後新たに情報がでてきましたら、また追加していこうと思います!
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最後までお読みいただきありがとうございました!