2018年12月現在のスキージャンプ界のレジェンドと言えば、葛西紀明選手ですが、ひと昔前はその葛西紀明選手が憧れたほどのレジェンドがいたってご存知でしょうか?
その方は秋元正博さんという方で日本のスキージャンプ界を切り開いてきた方と言っても過言ではないレジェンド中のレジェンドらしいんです!
そこで、秋元正博さんの経歴や葛西選手との驚きの関係、現在何をされているのかについて調査してみました!
スキージャンプ界のレジェンド・秋元正博の経歴やプロフィール!
まずは簡単に秋元さんのプロフィールを紹介します!
名前の読み方:あきもとまさひろ
出身地:北海道札幌市
出身校:北海道岩見沢緑陵高校、明治大学政治経済学部
現役時代の所属:地崎工業(現役時代/現在の会社名は岩田地崎建設)
生年月日:1956年9月3日
年齢:62歳 ※2018年12月時点
秋元さんには兄弟がいてその兄の影響でジャンプを始めたらしいですね。
素人感覚ではジャンプって相当怖いような感じしますが、秋元さんもレジェンドとは言え怖かったらしいですね。
ただその怖いという感情を力に変えることでこれまでの好成績を収めてきたと語られています。
簡単い言えば、神経を集中していいジャンプができたということらしいです。
秋元さんがレジェンドたる所以は、1980年3月に行われたストラブスケプレソ(チェコスロバキア)でのワールドカップで日本勢初優勝という輝かしい成績の他、数々の国際大会で入賞、国内大会でも圧倒的な優勝数を誇ることに由来するらしいです。
現在の話題が皆無のため全く持って実感がわかない部分もありますが、例えば、葛西選手が現在崇拝されているように当時の秋元さんも同じような扱いをされていたと考えれば凄さが分かりますね!
秋元正博の人生を変えた葛西紀明少年との衝撃の出会いとは?
そんなレジェンド秋元さんは、順風満帆な競技人生を送られていたわけでもないようです。なぜなら、大きな事故を2回程経験していることにあります。
これって体が資本のスポーツ選手にとっては致命的な出来事ですよね!
で、その2回の事故というのは、
・1982年 人身交通事故(逮捕)
・1986年 オーストリアのフライング世界選手権で転倒 (複雑骨折)
です。
どちらもほとんどの人が経験しないような壮絶な事故ですね。。。
宮田正直 現在はプロのスコアラー!事故で記憶喪失も分析力が半端ねぇ…
交通事故の影響は当然、競技者としての処分も加わり1年間の試合への出場停止処分となったようです。
感動したのは被害者遺族からの競技出場への嘆願書が提出されたことです。 遺族の方々は傷心の中、加害者の秋元さんにそのようなことができるって相当凄いことだと思います。
私はそんなこと出来るか…分かりません。
また、その後復帰した1986年の試合中の事故は選手生命は絶望しされたようですが、懸命のリハビリによって驚異の回復力を魅せなんと翌年の札幌大会で優勝したと言うことです!
なんでそこまで頑張れたのかと言う理由ですが、「事故で選手生命が絶たれる」という実績を作ってしまうと後続の子供たちが続かなくなってスキージャンプ競技が衰退してしまうから、という何とも一般人じゃ考え付かないような高すぎる責任感かららしいです。
そんな人間的にも素晴らしい秋元さんの人生を変えたのが当時の葛西紀明少年だったそうです。
そのリハビリ期間に『自分よりも凄い少年がいる』と周囲に語っていたそうで、その後やはり怪我によりパフォーマンスが低下したことで引退に至っていますが、これってすごい共通点だと思いませんか?
葛西選手と入れ替わりで秋元選手が引退というレジェンドのバトンタッチともいえるスキージャンプ界にとっては衝撃的で運命的な出来事だと思います。
そして、お互いがお互いの凄さを認めていたと言いますから、たぶんその他の人たちからしたら雲の上で認めあっているような感覚でしょうね。
秋元正博 現在の進路は?政治家orジャンプコーチか?
で、そんな引退したレジェンド秋山正博さんは現在何をされているのでしょうか?
2018年現時点で年齢は62歳ですから、まだまだお若いですよね。
で、調査してみたのですが、実は2005年の衆議院議員選挙に北海道1区で出馬されていたようです!
それもあの鈴木宗男氏の「新党大地」という政党の副代表としてです。
驚きですが、大学が政治経済ですから元々そういった思想もあったのかもしれませんね。
狙いとしてはウインタースポーツの普及のための政治だったようです。あくまでもスポーツ界を基準とした活動だったようですが、残念ながら落選されたようです。
その後は、北海道のテレビ番組に2000年代後半にインタビュー出演されています。 この時は2009-2010年の日本代表選考中だったようですから2008年頃でしょうか。
明言はしていませんでしたがその立ち位置は何となくコーチの雰囲気を漂わせていましたね。
で、そこから10年程経っていますがこの流れで行けば北海道在住でウィンタースポーツにかかわることをされていそうですね。 私の予想としてはどこかのクラブチームで特別コーチなんかをされていると想像しています。
現役時代より次世代のウィンタースポーツのことを考えながら活動されていたことを鑑みれば、今後の選手育成や施設運営、もしくはJOCなどで普及活動をされていてもおかしくありませんね。
最後に札幌オリンピックミュージアムに1980年レークプラシッドオリンピックで秋山さんが使用されたスキー板の展示がされているそうです!
気になる方は見に行かれはいかがでしょうか?
ってことで、その後の正確な情報をキャッチ次第追記したいと思います!
では!