あのプロ野球界のレジェンド・松井秀喜さんの高校時代の同級生で星稜高校のエースだった山口哲治さんが凄い挑戦をされている事を知ってしまったので紹介したいと思います!
星稜高校の甲子園投手・山口哲治ってどんな人?
山口哲治さんって、星稜高校のエースで甲子園出場投手なんですが、松井秀喜さんと同じ学年で当時の星稜高校は相当強かったらしいです。
地元石川県の河北台中学校で名を馳せ、星稜高校に入学し、たぶん世代ではない方々も知っているはずのあの5打席連続敬遠の試合にも松井さんと一緒に試合出場していた強者です!
しかも、松井秀喜さんは言わずもがな4番バッターでしたが、山口さんは投手(背番号1)でなんと3番を打っていたというからすごいですよね。
あの伝説の敬遠による敗退は第74回大会で対戦校は明徳義塾高校でした。
今となっては松井秀喜さんの話題に完全に隠れてしまっていますが、再三の勝ち越しのチャンスを作ったのは紛れもなく山口さんなんですよね。
山口さんも凄いバッターだったようで、この試合で長打を打っていますし、最終回の1点を追うツーアウトの場面でも3塁打を放っています。
ここで、明徳義塾は躊躇なく5回目の敬遠をしたわけですね。
まあ、当時相当な批判があったらしいですが、たらればで申し訳ありませんが山口さんが作った数度のチャンスを作っている中で当時の松井秀喜が打たないわけないですよね。。。
私は打っていた確率は相当高いと思いますよ。
ですから、これって完全に明徳義塾の監督の采配が勝ったってことだと思います。
で、甲子園終了後は共にU18の日本代表に選出されていますからプロに行けなかったことが不思議なくらいですね!
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噂では相当落ち込んだらしいです。。。
山口哲治 星稜高校卒業後、神戸製鋼で社会人野球へ!
山口哲治さんは、松井秀喜さんと共にプロ野球に進み勝負、あるいはチームメイトとして闘いたいという夢があったようです。
ですから、高校卒業後にプロに行けなかったから断念…というわけでもなかったらしいです。
一時はへこんでしまったようですが、その後は気を取り直して社会人野球チームのあった神戸製鋼に入社しそこからプロへの道を模索したようです!
ただ、社会人では学生時代の時のような活躍できず…
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それも怪我に泣かされたようで、約7年の社会人で野球生活にピリオドを打ったと聞いています。
いや~こういったことを踏まえて考えれば全てのプロ野球選手って凄いんだなとしみじみ思ってしまうわけですね。
しかも、その中でも1軍のベンチに入れるってとんでもないことですし、レギュラーに定着することなんてそれ以上に難しいことであり、さらにさらにその中で松井秀喜さんの様に長きにわたって優秀な結果を残し続けるってホントに一握りの方々しか成しえない偉業なんだなと思いますよね。
その影に隠れて、山口さん含め何百、いや何千の野球選手が競争からリタイアせざるを得ない現状があるわけですからね。
でも、松井秀喜さん出さえ引退せざるを得ない、いい年齢の現在プロ挑戦なんでしょうか?
めっちゃ気になる~
松井秀喜と同じ年!山口哲治 現在44歳でプロ野球挑戦ってマジ?
松井秀喜さんと同級生ってことは現在、山口さんの年齢は44歳ってことですよ!
そんな年齢でプロ野球目指すとかって言ったら99%の人に鼻で笑われそうですが…
え、なんか事情が少し違うようです。。。
その話はこんなエピソードから出てきている訳ですね!
社会人野球の引退後、すぐに嫁・美沙子さんとご結婚されたようで、実は結婚式での松井秀喜さんのスピーチが元となっているようです。
そのスピーチとは、
”私の夢は山口さんと共にプロ野球という舞台に立つことでした。しかし、その夢はかなえられませんでした。”
”ですから、2世をプロなれるように育ててください。そしたら巨人軍でお待ちしています。”
めっちゃ感動すること言ってくれますね~ゴジラ松井さん!( ;∀;)
ってことですから、山口さんのプロ野球挑戦は2世に託されまだ終わっていないということになりますよね。
ちょっと事情が複雑でしたら、確かにプロ野球挑戦と言えばそうですね!
ゴジラ松井さんもその夢の準備しておかないといけませんね!
2人ともこれからも頑張って野球を盛り上げてもらいたいですね!
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では!