今回は菅義偉官房長官(2020年8月時点)の若い頃について調べてみました!
政治家・自民党の中でも力を持っている方という認識ですので、エリート街道を走ってきたと思っていたのですが、意外にも苦労人と言うことが分かり驚いているところです。
学歴や生い立ちなどその波瀾万丈な人生をまとめてみたいと思います!
菅義偉の生い立ちは?プロフィール、学歴などの基本情報!
ではまずは、菅義偉さんの生い立ちの概要から知っていきましょう!
プロフィール的にまとめて行きます!
プロフィール「生年月日、年齢、出身地など…」
まずは、基本情報ですね!
名前 : 菅義偉(すがよしひで)
生年月日 : 1948年12月6日生まれ
年齢 : 71歳(2020年8月現在)
出身地 : 秋田県雄勝町(現・湯沢市雄勝郡)
血液型 : O型
兄弟 : 姉2人、弟1人
好きな食べ物 : 甘いもの、麺類
趣味 : 渓流釣り、ウォーキング
スポーツ : 空手
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好きな食べ物が甘いものと言う事ですが、確かに少し前にパンケーキを食べる姿が話題となりましたね。
ご年配の方で、特に男性の方は甘いものが苦手と言う人が多そうですが、菅さんの場合、今どきなんですね〜。
ケーキと小柄な菅さん…か、かわいいw
学歴について!
小学校 : 雄勝町立秋ノ宮小学校(現:湯沢市立雄勝小学校)
中学校 : 雄勝町立秋ノ宮中学校(現:湯沢市立雄勝中学校)
高校 : 秋田県立湯沢高等学校
大学 : 法政大学法学部政治学科
今でこそ大学に進学する事は一般的ですが、
菅さんが10代の頃(1960年代)はまだ、高校進学すら一般的ではなく、120人ほどいた地域の同級生の中で中卒で東京に出て働く人が60人ほど、実家などで家事手伝いをする人が30人ほど、そして菅さんを含め30人ほどだけが高校へ進学したそうです。
今じゃぁ、中卒なんて滅多にいないし、高校卒業後、大学じゃないにしてもなにがしかの学校に進学する人がほとんどですから、たった60年ほどの間に世界は目まぐるしく変わったことがわかりますね。
今生きている人たちの中でもこれだけの文化の違いがあるわけですからいろいろな価値観の中で、世代間ギャップがあって当然です。逆にない方が不自然な気もしてきますね。
父親は築地では有名人!実家は裕福だった!
実家は農家で、その長男として生を受けました。
父親ってどんな人?東京築地で有名人だった!
父・菅和三郎さんはもともと、稲作農業をされていましたが、生活を豊かにするためにと、苺のブランド化に取り組み「秋の宮いちご」を『ニューワサ』というブランドとして売り出し、その販売ルートの確立に成功されました。
これは、東京や大阪に卸していて築地などの大手市場では有名だったそうですよ。
ちなみに「秋の宮いちご」が2013年に自治体がアップしている以下の動画で品種を紹介されているのですが、この動画で紹介されている品種はベルルージュと言う品種みたいです。
なんだか、めちゃくちゃおしゃれな名前ですね!ベルルージュは寒冷地向けの品種で、まさに秋田県にピッタリの品種のようです。
そして、もしかするとこの動画に登場する菅さんは菅義偉さんとの関係が…?
名前は菅英夫さんと言うらしいです。
もしかして父親の後を弟さんが継いでいたとか…?
まあ、同性のイチゴ農家という可能性が十分にありますから何とも言えませんが、いづれにしても、菅さんの実家地域ですので、菅さんが住んでいた土地の雰囲気はこんな感じなんでしょうね!
実家は裕福だった!「マンガ」で分かるエピソード!
また、実家はそこそこ裕福だったと言います。
当時『冒険王』という月間漫画雑誌があったのですが、この漫画を毎月購読していたそうです。
今だと漫画雑誌は手頃に購入できる庶民的な娯楽ですが、当時は、こういった雑誌を買ってくれる家庭は1学年で2〜3人程度だったそうですから、学年で比べると比較的裕福な家庭だったことがわかります。
また、これは余談ですが、菅少年は非常に友人に優しく、その漫画を最初に見るのは自分ではなく友達でした。封を開けることも友達にしてもらっていたようです。
これ聞いたときに、本当に優しい性格の少年だったんだと思いましたね。雑誌が自分の家にないって状況からすると、封を開けること自体も一つの楽しみですし、ある種、それだけ貴重なモノだったわけですから、もはや開封の儀式ですよねw
こんなに優しい少年だったからか、家の前に並ぶほど友達がいたということですw
【参考】https://www.news-postseven.com/archives/20150722_334750.html/2
【昔の画像】菅義偉の若い頃が意外とイケメン!空手姿がカッコいい!
ざっくりと菅さんの生い立ちがわかったところで少し深掘りをしていきましょう!
まず初めに気になるのか若い頃の菅さんは、どんな見た目だったのか…です。
若い頃と年齢を重ねてからのギャップがすごい人、そうでもない人といますが菅さんはどっちなんですかね〜
今現在は、小柄で可愛らしい感じですのできっと若い頃も愛らしい少年だったと想像しつつ調査をしてみました!
ではその結果をお伝えします!
菅さんの若い頃の画像はこちらです!
凛々しくて、ガタイも良くてめっちゃ、イケメンじゃないですか!!!!
しかも今の菅さんからは想像もできない空手姿…しかも黒帯です。
これは法政大学時代、2年生の時に撮影された写真だそうです。
いや~ちょっと意外過ぎだし、画像のせい(粗さ)かもしれませんが、今の菅さんからは想像ができません。ギャップあり過ぎでしょw
しかし良い写真が残っているモノですね!
菅義偉の中学生時代!超絶スポーツ万能だった!
菅さんは中学生の頃、軟式野球部に所属しており、チームでは中心的な存在だったみたいです。
打順は1番で、守備はサードを守っていたとのこと。
俊足で野球以外のスポーツもそつなくこなす、運動神経を持ち合わせていて、
実は小学生の頃から、陸上、相撲、バスケット、ソフトボールなどいろいろなスポーツに参加しそれぞれの大会で活躍していたらしいですね。
運動ではそういった活躍を見せつつ、人望が熱く自然と周りに人が集まってくるそんな少年だったそうです。
小学生時代そのままに中学生になった感じですね!
【参考】https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202009030001168.html
菅義偉の高校生時代!勉強一筋少年に!?
ここまでの内容からすると高校時代もなにがしかの運動部に所属していると想像しましたか、意外にも何の部活もしていなかったそうです。
その理由は、実家から高校の距離が遠く通学時間が片道1.5時間以上かかっていたからだそうです。
それはバスと汽車、徒歩を組み合わせているのですが最終バスに乗り過ごすと帰宅するのに徒歩で数時間かかるが故に断念せざるを得なかったのだそうです。
ですがそれで取り柄を奪われたわけではなく、後に法政大学に入学していると言う実績の通り勉強もよくできたそうです。
この辺から、菅義偉家のルーツがなんとなくわかってきました。
と言うのも、菅さんの息子たちも高学歴でありながらスポーツにも熱心なだからです。
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菅さんは、息子たちに運動部に入ることを教育していました。
それはきっと、上記の参考記事に書いた通り大義名分はあるにせよ自分がスポーツが好きだったと言う思い入れもあったり、自分の息子たちだからスポーツに向いているんじゃないか、など、思うところがあったのかもしれません。
菅義偉の上京直後の壮絶体験…
実家が農家と言うことで、普通であれば高校卒業と同時に家業を継ぐことが一般的であったのですが、菅少年はとにかく農業をやることが嫌でしょうがなかったと言います。
そして、「東京に行けばいいことがある」との思いから父親の反対を押しきり半ば家出状態で上京しました。
それで菅少年が目の当たりにした現実はと言うと、、、良い事は全くなかったそうです(-。-;
上京すれば好きなことができると思っていた中、就職した段ボール工場で厳しい現実を突きつけられ、そこで初めて将来の人生について考え始めました。
業務内容は「荷物運びなどの肉体労働…」それはただただ時間を食いつぶしているだけだと、菅さんには感じられたそうです。
「一生この工場で働き続ける事は考えられない…」と。
そして、漠然と人生1度きりだから大学位は出ておいた方が良いのではないかと思い始め、数ヶ月で段ボール工場を退職。
そこから大学受験のための勉強と入学金、生活費を稼ぐためのアルバイトを2年間続けられたそうです。
アルバイト先は築地でした。
当時の菅さんが父親と築地のつながりを知っていたのかどうかは分かりませんが、父と息子が別の志の中で同じ土地に関わると言うことに、何か運命的なことを感じてしまいます(*_*;
また、調べていて思ったのは、このころの菅さんは、ある種、将来特にやりたいことがない「現代社会にも沢山いそうな学生と同じ心境だったのではないか?」と言うことです。
「農家が嫌だ」とか「上京したい」とか「大学にいきたい」とか、全て自分の意思ではあるのですが、確固たる理由や信念ではなく、『とりあえず』とか、『漠然と』なんですよね。
まさに、当時の菅さんは『現代学生と同じ悩みを抱えていた』ってことだと思いました。
2020年現在では、そういった漠然と生きていてもどうにか生きていけそうですが、当時だと、志を持たなければ、精神的にも物理的に悲惨な状況だったと思います。
私は当時の世の中を全く知りませんが、きっと、今で言うブラック労働なんてことは当たり前で、『上京は天国』という想いで『過酷』な労働を強いられれば、そのギャップに耐えられないと思います。
ということは、そこからの巻き返しは、才能としか言いようがありませんね!
菅義偉の大学時代!『自分探し』の結果は…
2年後に念願の法政大学に入学したものの、やはりその後のやりたいことは特に見つからず、「フラフラしていた」と当時を振りかえられています。
ただ、高校時代にはできなかった運動部に入部することができています。「厳しい場所で自らを高めたい」と言う決意のもと大学時代は「空手部」に所属しました。
当然、学費をアルバイトで賄いながら大学に通う苦学生ではありましたが、
「だからこそ自分を徹底的に鍛え自らを律する空手道は願ってもない鍛錬の場になった」
とも、語られていましたね。
きっとその中でこれから自分が何をしていくべきかを見つけ出すチャンスをうかがっていたのかもしれません。
それは、私が思うに家業である農業を継ぐ覚悟を後押しす為の行動だったのかもしれません。
ですが、大学卒業時点になっても「農業」を継ぐと言う運命を受け入れられることができず、改めて就職をします。
これらの経験を経て社会に再び出て行ったことで、世の中がどういう風に動いているのか、誰がどのようにその流れを決定しているのか、と言うことに興味を持ち始め、その源流に携わりたいと思うようになったとのことです。
そしてそれが政治であることになんとなく気づき議員事務所の秘書として働くようになり、まさに政治家としてこれまでの活動されてきたと言うことになります。
菅義偉の若い頃(画像)・生い立ち!学生時代&上京の壮絶エピソード!まとめ!
では、菅さんの若い頃・生い立ちについてまとめて行きます!
【実家】いちご農家でブランド確立、そこそこ裕福
【中学生時代】スポーツ万能で有名の人気者!
【高校生時代】長時間の通学生活、勉強に励む!
【上京直後】「上京は天国」の思い込みがぶち壊れ落胆…大学に行けば何かあるか...と2年間の受験準備&アルバイト生活を送る
【大学生時代】勉強と空手とアルバイトの三足の草鞋。自分の進むべき道を見つけられるか...見つからず、再就職。
【大学卒業後】これまでの経験から改めて社会に出て、社会の仕組みに興味を持つ ⇒ 政治に触れたいと思い議員事務所で秘書として働く。⇒今に至る
順風満帆に政治の道に飛び込んだのかと思えば、
・その道に気づき志したのは20代、
・さらに議員として直接的に政治を動かす事を志したのは30代
と言うことでかなり遅咲きの政治家ですね。
菅さんの生い立ちの話しぶりからすると、ずっとなんとなくで来ている感じです。
ですがその脱力感でここまで上り詰めると言う事は、間違いなく政治家としての才能があったと言うことだと思いました。
また、菅さんのような立派な方でも、人生半分ほど将来について、自分が何をしたいのかについて悩まれていたことを知って、菅さんも「人間なんだな」としみじみ思ったとともに私自身も元気が出てきました。
現在71歳となかなかのお歳ではありますが、これからも頑張ってほしいと思います。
では最後までご覧いただきありがとうございました。